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イラン流ヨーグルトの食べ方を実践したら・・・

先日書いたイランのヨーグルトをイラン流の食べ方にて食す « Waviaeiですが、実践された方が…しかも2回も!

すべての源? – MMRT daily life

興味津々 第2弾 – MMRT daily life

Masayanさんの感想はと言うと:

やっぱり到底説明出来ない味。言い切れるのは、コレは絶対デザートじゃない。いつもならヨーグルト用のジャムを入れるのですが、これが結構な量をいれないと味がしない。でもでも、塩胡椒だとすごく少ない量でも食べきれるのですね。これ、不思議。

興味津々 第2弾 – MMRT daily life

興味津々な方は是非どうぞ!

と言いつつ、僕自身は日本に帰ってきてから1度もこの食べ方で食べてはいませんが(笑)

イランのヨーグルトをイラン流の食べ方にて食す

イランにもヨーグルトがあります。幾つか種類があるらしいのですが、最もポピュラーなのがプレーンのタイプ。しかも酸っぱい上に、甘さゼロ。砂糖をかけいてない、3日間くらい賞味期限が切れた明治ブルガリアヨーグルトみたいな感じかな。たぶん他の中東の国々や、近隣のトルコでも似たような味だと思うので、その辺りを旅行された方であれば想像がつくかと。

で、このイランのヨーグルト。幾度となく目にし、数回食した事があるのですが、酸っぱいので僕はどちらかと言うと敬遠してました。しかし今回、意を決して、初めてイラン流の食べ方で食べてみました。

一般的なイラン製ヨーグルトです。

Iranian Yogurt - イランのヨーグルト

中はこんな感じ。いたって普通のヨーグルトに見えます。

Iranian Yogurt - イランのヨーグルト

そこに塩と胡椒を少々w 塩は半つまみくらい。胡椒は多すぎない程度に。ちなみに白胡椒です。

Iranian Yogurt - イランのヨーグルト

食します。ごちそうさまでしたw

ちなみに、写真にご飯が見えるように、昼ご飯。ヨーグルトはデザートではなく、メインディッシュと一緒に食べる「付け合わせ」みたいなもんです。

感想は?

これが結構いける!塩胡椒を少しすると強い酸味が少しまろやかになって、僕でも食べられるようになりました。ただヨーグルトの味が弱いので、少しでもかけすぎると胡椒の味が強すぎ、またはしょっぱすぎて、食べるのが困難になるとアドバイスを受けました。

うーむ。現地の人がヨーグルトに塩胡椒するのを初めて見た時は「ええぇぇぇ~」って感じでしたが、これは意外でした。

ちなみに、日本みたいにプレーンヨーグルトに砂糖をかけたり、フルーツやジャムをかけたりする事はしないとか。横にいたイラン人は、いつもではないけど、よく塩胡椒はするらしい。砂糖をかけることは絶対にありえん、だとか。

砂糖はかけないとは言うものの、イラン料理レストランへ行くと、ヨーグルトにサフランと砂糖をてんこ盛り混ぜた、黄色くて超甘ったるいドロッとした料理(と言うのか?)があります。一口食べた事がありますが、あんなもん食べられたもんじゃありません(苦笑)

実は滞在しているホテルのルームサービスのメニューに

  • プレーンヨーグルトのキュウリ添え
  • プレーンヨーグルトのホウレンソウ添え
  • プレーンヨーグルトのエシャロット添え

等という、理解のしがたいヨーグルトメニューが書かれています。約60~90円と安いのですが、試す勇気はしばらくでないと思いますw

ヨーグルトに塩胡椒をする食べ方、興味がある方は、是非日本のヨーグルトでお試し下さい!

Quote:平和の定義

2つ前の記事と同じく、片付けの際に引っ張り出してきた走り書き。

6月末に横浜で行われた講演(勉強会?)、【第3回 UP塾】紛争はなくせるのか?ー紛争地での平和の作り方ー 、に行ってきました。

平和とは、選択肢がより多くある状態。それが幸せかどうかは、また別の定義だ。

たとえば、日本は平和。生き方の選択肢が多い。しかし選択肢が多すぎるのか、選択できず、悩み、苦しむ人がいる。

僕自身はまだ「あなたの平和の定義は?」と聞かれると、まだ答えはない。でも、平和とは、戦争が無く、紛争が無く、争いが無い世界の事ではないと思っている。人間が人間で有る限り、争いは絶対に消え去り無いと思う。

そういう考えが自分の中であるので、瀬谷さんの平和の定義(それとももしかして学問的にこう?)は「平和とは?」と言う問いに対して、僕の中ではしっくりする答えだった。

この話が無ければ質疑応答で突っこもうかと思ってたけど、そんな必要ありませんでした。

イーココロ!講演会@横浜の報告|紛争地のアンテナ: 瀬谷ルミ子のブログ

野町和嘉写真展「聖地巡礼」に行ってきた

先週末に引き続いて今週末も東京都写真美術館に足を運んできました。見に行ったのは野町和嘉写真展「聖地巡礼」

 

写真家、野町和嘉は20代半ばでサハラ砂漠を訪れ、大地のスケールと、過酷な風土を生きる人々の強靱さに魅せられたことがきっかけとなって、今日までドキュメンタリー写真を撮り続けてきました。 35年余に及んだ取材地域は、ナイル川全流域からエチオピア、極限高地チベット、南米アンデスまでをカバーし、過酷な自然と調和しながら受け継がれてきた伝統文化をテーマに、地球規模のスケールで「大地と祈り」を撮り続けてきました。 そして1995年から2000年にかけて、サウジアラビアからの要請により、13億人イスラーム教徒にとって唯一の聖地である「メッカ」とその巡礼を、世界で初めて徹底取材してきました。これまでの取材の成果は、写真集「サハラ」、「ナイル」、「神よ、エチオピアよ」、「チベット」、「メッカ巡礼」として世界各国で出版され、とくに欧米では版を重ねてきました。また、2005年には、野町が30年以上にわたって撮り続けてきた世界各地の「祈り」を集大成した『A PHOTOGRAPHER’S PILGRIMAGE』(日本版『地球巡礼』新潮社)が、9カ国語版にて世界同時刊行されました。 本展は最新作のガンジス、イラン、アンデスを中心として、代表作のアフリカ、エチオピア黙示録、メッカを加えた約150点によって構成するものです。

東京都写真美術館 > 野町和嘉写真展「聖地巡礼」

先週末にまとめて行かず、わざわざ1週間待ったのは、野町氏によるギャラリートークが予定されていたから。展覧会に行って初めてしったんですが、先日紫綬褒章を受章されたとの事で、果たしてその影響か、非常にトーク参加者が多かった(200人くらい?)です。 Continue reading

YouTube Deletes 29,549 Videos after Japanese Complaints

This news was aired on the main-stream Japanese media as well.

In what must be one of the biggest mass removals of YouTube content, the video sharing site just pulled down 29,549 clips after a demand from a group of Japanese media companies. The group claimed that TV, music and movies had been uploaded without permission from the copyright holders. But as they usually do, YouTube reacted quickly to avoid a potential lawsuit.

It will be interesting to see if more Japanese media reacts to this, and complains.

発言する文化と日本のネット・カルチャー

数週間前に読んだ記事で、それについてふと思ったことが有った。ただその記事のURIを忘れてしまって思い出せない。デジタルARENAのインターネットの危ない話に出ていたと思ったんだけど、見つからない。うろ覚えで申し訳ないけど、とにかく書いてみる。

その記事は要するに、ブログ、炎上するブログ、匿名か実名か、どのような事をブログで書くべきか、どのような事はブログで書く場合注意すべきか、等々に関連する話題の記事です。そこに、「ブログで何かを書くと言うのは、渋谷の交差点の真ん中で叫ぶようなもの」と書かれていました。だから何も書くべきではない、とは書かれていませんでしたが、何を書くのかは注意した方が良い、もしくは、慎むべきと言ったネガティブな感じでした。

これをよんで思ったのは、ブログやインターネットがらみの危険性を全く認識していない人にとっては分かりやすい説明の仕方だと言うことと、そう言えば日本にはそう言う文化は無いなぁ、です。「そう言う文化」とは、市民が集まる場所で自分が今思っている事を皆(ほかの市民)に対して発言する文化です。

例えば、これもうろ覚えなんだけど、ローマに行った時にローマ帝国の都市には必ずと言っていいほど市民が自然と集まる場所(広場)が有って、そこには発言台(もしくはそれらしき物)が設置してあった、と聞きました。どんな事でも発言する事ができ、民衆もそれに耳を傾けていたらしい。その文化は西洋社会に根付いた。例えばロンドンの公園にはそう言う場所がある。以前NHKアーカイブスで再放送されていたルーマニア革命に関するドキュメンタリー番組では、革命後どこからともなく市民が広場に集まり、自然発生的に車の上に立ってそれぞれ「この国はどうあるべきか」等を思い思いに語っていたのがすごく印象的だった。

ちなみに、欧米で言う「広場」と言うのが日本には無いとも思います。ワールドカップ中継のパブリックビューイングの風景を見ているとよくわかる。ヨーロッパの都市には、それぞれ自然と人が集まる広場らしき場所が有って、そこに馬鹿でかいスクリーンを設置。みんなでビールでも飲みながら観戦しようと言う感じです。ところが日本はスタジアムの中だったり、映画館だったり・・・。文化の違い以外に、セキュリティの問題とかもあるんでしょうけど、やっぱり何かが違う。

一個人の発言に関する文化の違いが、日本特有のネット・カルチャーを生み出している気がします。良い点も悪い点も含めて。

イギリスで結婚式を挙げる日本人

昨日BBCのハプニングについて記事を探していたら、こういうのも発見: Here come the brides … all the way from Tokyo | the Daily Mail (では新郎新婦の入場です・・・はるばる東京からやって来ました)。

要するに、海外挙式とか海外ウェディングです。日本人にとっては憧れの対象となるようですが、やはり向こうの人たちは奇妙な行動と映ります。僕は英国人の友人の結婚式に出席したことがあるのですが、(予算の許す限り)なるべくたくさん親族や知り合い、友達をよんで、皆でわいわい騒ごう!って感じです。友人の場合は午前中に教会で結婚式を挙げ、午後から近くの宿付きパブを占拠(笑)。披露宴を行った後も夜通しパーティ(ディスコ有り)でわいわいと騒いでました。そういう結婚式を行う英国人からしてみれば、わざわざ地球の反対側まできて結婚式を行うのは不思議に思うでしょう。

英国国教会は、「theme parks for tourists to use as photo opportunities and holiday playgrounds」(観光者が使用する、写真撮影と遊び場のテーマ・パークのように使用している)と一部の人たちに非難されています。教会を、キリスト教信者でもない人に大金を払わせて使わさせていると。この企画を主催しているのはワタベウェディングですが、そこと契約しているある教会の方は「ここに来ないと得られない体験を提供しているのだ」と言っています。ただ英国国教会も現在資金難なので、お金の事情が本当の理由のようです。

別に海外で結婚式を挙げるなとは言いません。それぞれ色々な事情もありますし。ただ挙げる人は、宗教的に不快感を覚える地元の人たちもいると言うことを意識しておいた方がよいのでは?